もう記憶が定かじゃないので時効ということにして欲しいのだが、20で一人暮らしを始めた時、性的に奔放な状態になった。学生時代に付き合っていた彼と会えなくなり寂しかったのだ……と言い訳にもならないのだが、この頃、性交した男性の時系列が思い出せない程度に乱れていた。

 そんな混乱のさなかに何故か結婚しようと思った男がいた。多分向こうも向こうなりに私を好きだったし、私は彼を大好きだったのだが、なんだか酷いこといっぱい言ってしまったし、今思うと酷いこともいっぱい言われていたな、と思う。

 彼との会話で今でも思い出す台詞がある。

私が彼に

「好きになったんだから結婚して、好きじゃなくなったら離婚すればいいじゃん」

といった。今にして思えば結婚の話が進まないので彼の背中を押したかったのかもしれない。私のこと嫌いになったら離婚していいよ宣言だったのだ。だから軽率に結婚しようよ、と。彼の返答は

「そんなことで俺の籍を汚すな」

だった。

これを今でも覚えているってことは結構ショックだったのだろうと思う、私。

私が最大限に自分の価値を下げて譲歩した話なのに、それに更に乗っかって「そんなこと」呼ばわりされたこと、プライドの高い私のショックはいかほどか。

「ずっと好きだから大丈夫だよ」「それなら離婚しないね」みたいな甘々の回答を期待していた20代前半の私、可哀想に。

この彼には他にもいろいろあって、元彼女(以下彼女)が私と同じ名前だったり、彼女との間の子供堕ろしてるの引きずってたり、それ隠して実は子供がいる(から別れてくれ、の意を私は汲めなかった)とか言われたり、彼女との結婚指輪(予定)が部屋に飾ってあったり、彼女から荷物が送られてきたりと色々とまぁ、(おそらく相手にとっても)そんな奴と結婚しなくてよかった案件であった。

でも、別れた時ショックで手首切った、ハサミで(ちょびっとね)。

 

男の人の責任感ってそういう書類上で発露するのだなぁと思ったのは27で結婚した相手が、ノリで軽く籍を入れたと思っていたのに、「エルベさんの一生に責任を持つ」という覚悟でいたらしいことを離婚後に知ってからだった。

 

ちょっと話は変わるが、相手との生活に責任を負う立場になると言いたくなるのがあのセリフである。

「誰のお陰で食っていけてると思ってるんだ」

私は現在同居人がいるのだが、彼に対してたまにそう思ってしまうのだ。別に私のおかげではないのだが……。元夫が私にやたら威圧的に接してきたのもわかってしまうのだ。私は同居人に大変偉そうになってしまう。責任感、怖い。

 バツイチという言葉の語源は戸籍にバツがつくからだという。私の記憶ではバツなどなかったような……私の戸籍には私しかいない。結婚したときに両親の籍から抜けて新しく籍を作ったが、離婚時にそこからも抜けているのである。Wikipediaには「戸籍上離婚した妻はバツ2である」なんて、軽く書いてあるがなんだか嫌な感じである。私の籍にはバツなどありませんが??? という気分になってハッとする。

「そんなことで俺の籍を汚すな」

 20代の頃、結婚しようと思った男のセリフだ。

 私はずっと、なんて酷いことを言う男と結婚しようとしていたのか、と笑い、話のネタにしていたのだが彼のいうことは正しい。たしかに私は実家の籍と元夫の籍にバツを残したのだから「汚した」のだろうなぁ。だからなに、とも思うが。嫌なら戸籍制度に文句言ってくれって話ではある。

 

 結婚は離婚するまで失敗ではない。離婚してしまえばどんな結婚も失敗だと確定する。そして失敗しない限りは成功の可能性が残っているものだ(と私は思っている)。シュレーディンガーの結婚。主に子供が犠牲になりがちなのがネックだとは思うが。

 うちの両親も失敗が確定するのが怖かったのか、なにかの罰ゲームのような結婚生活を長年おくっていた。両親は年齢とともに穏やかになり、賭けに勝った(勝ち負け?)。今は平和な余生をおくっている。しかし、その犠牲となった我々――兄と弟がいる――は誰も「結婚して子供作ってハッピー再生産」と考えられず、全員独身である。

 

 私だって夢を見ていた時期があったのだ。小さな一軒家に優しい夫と男の子と女の子、白い犬、みたいなことをぼんやり描いてはいた、と思う。

 しかし、結果失敗し離婚したのだ。

 結婚したことも離婚したことも特に後悔していないが、離婚したというのは胸を張って言えることでもないと思っている。……よく言うけど。別に隠したり恥じたりする必要もないと思っていると、何故か胸張っていうことになるのだ。

 「結婚できた」という事実と「離婚した」という事実が、他人を判断する上で結構大きなバロメーターだということなのかもしれない、私にとって。違うか、私という人間をアピールする際に外せない要素となっているのだ。「結婚できないわけではないが持続できない程度に欠けた人間です」という説明は、なかなか私にとって便利なのだろう。

 

 今どき離婚ごときで欠陥があるなどと言ったら共感を得られないかもしれないが、やはり離婚は「いい年になっても他人に合わせられない」というようなイメージが私は拭えないのだ。それは欠陥なんかじゃないよ! と拒絶するより欠陥があってもいい、のほうが優しいと思うのだが、なんだかそうは受け取ってもらえないので難しい。

エセーとは「試行、吟味、試験、経験、実験」などの意味を含んでおり、モンテーニュ自身のことばによれば「判断力の試み」であった。つまり、『随想録』は自分自身が何者であるのかを知ろうとする基本的な態度から発して、思索を展開しているのである。
エッセイとは - コトバンク (kotobank.jp)

 エッセイを書こうと思ったのだが、上記の定義であれば普段書いているブログ(はてなブログ:https://snack.elve.club/)もずいぶんエッセイだな、と思うのだ。エッセイストを名乗っても良いくらいのEssayっぷりだと思う。
 とはいえ、あまりにもその時の気分で書きすぎており、自分でも「ちょっと何言っているのかわかりませんね」となる記事が多いのでその辺を整理して、今年中くらいに1冊電子書籍を作ろうかな? と思った。思ったらやってみるタイプで45年生きている。その生き様を少しでもわかるように残したい所存である。

 初めましての人もそうでない人もありがとうございます。

 私はエルベ。はてなブログで10年くらい文章を書いている。下手の横好きとはよく言ったもので10年書いてもさっぱり上手くならない。上手くならないなりに「リライト」をしようかと思った。よってここからの文章は基本的に前述の私のはてなブログで過去に書いたことを元に構成しようと思っている。既視感があったら相当な「えるべーにょ」である(何だそりゃ(わかる人は黙せよ))。

 

 はてなブログでも書籍作成サービスはあるが、カテゴリなどで出力調整できないし、紙の本を作るのがメインのサービスのようなのでちょっと面倒そうなのだ。ライブドアブログにはEPUB書き出しがあるので電子書籍を作りやすいとのことだった。なのでこちらで書いて、ある程度まとまったら出力して編集する。

 自分が書きやすくなるようなルールを作ろう。

  • リンクは基本的にURL
  • テーマは「自分」
  • 除草
  • 段落の最初は全角スペース
  • 英数記号も含めて全角

 1記事何文字くらいが読んでいて楽なのかよくわからない=普段読んでいないわけで、この手の普段使っていないから、わからないけど、とりあえず出力だけしてみる、ということも私の人生には多いのだ。……というようなことをつらつら書いていこうかと思うので、よろしければお付き合いください。この文体だと堅苦しい感じになるなぁ。……普段使っていないブログサービスだから、ちょっと慣れない。操作にストレスを感じる。一度ワードにまとめてから投稿したほうが良いかもしれない。
 試行錯誤することとする。

 

とここまで書いたのだが、どうにも堅苦しい。とはいえ文章も人間も距離感が大事。いきなり馴れ馴れしい文章というのは逆に引いてしまうこともある。初めましての人も私という生き物に興味を持ってくれるような本になるといいなぁ、と祈りながら前書きとする。


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